新潮文庫 グレート・ギャツビー
著:フィツジェラルド
訳:野崎 孝
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いまや海沿いの大きな邸宅はたいていが閉鎖されていて、「海峡」を渡る連絡船のぼんやりした灯が動いているほかには、ほとんど灯は見えなかった。そして、月がしだいに高くのぼって行くにつれて、その辺の消えてかまわぬ家々の姿は消え失せ、かつてオランダの船乗りたちの眼に花のごとく映ったこの島の昔の姿 ー 新世界のういういしい緑の胸 ー が、徐徐に、ぼくの眼にも浮かんできた。いまは消滅したこの地の叢林が、自らの席をゆずってギャツビーの邸宅を建ててやったその叢林が、かつてはさやさやと、人類最後の、そして最大の夢に誘いの言葉をかけんがら、ここにそそり立っていたのだ。この大陸を前にしたとき、人間は、その脅威を求める欲求をみたしてくれるものとの史上最後の邂逅を経験し、自分では理解も望みもしない美的瞑想に否応なくひきこまれて、つかのま、恍惚と息を呑んだにちがいない。
そしてぼくは、そこに坐って、神秘の雲につつまれた昔の世界について思いをはせながら、ギャツビーが、ディズィの家の桟橋の突端に輝く緑色の灯をはじめてみつけたときの彼の驚きを思い浮かべた。彼は、長い旅路の果てにこの青々とした芝生にたどりついたのだが、その彼の夢はあまりに身近に見えて、これをつかみそこなうことなどあえないと思われたにちがいない。しかし彼の夢は、実はすでに彼の背後になってしまったことを、彼は知らなかったのだ。ニューヨークのかなたに茫漠とひろがるあの広大な謎の世界のどこか、共和国の原野が夜空の下に黒々と起伏しているあのあたりにこそ、彼の夢はあったのだ。
ギャツビーは、その緑色の光を信じ、ぼくらの進む前を年々先へ先へと後退してゆく狂躁的な未来を信じていた。あのときはぼくらの手をすりぬけて逃げていった。しかし、それはなんでもない ー あすは、もっと速く走り、両腕をもっと先までのばしてやろう・・・・・・そして、いつの日にか ー
こうしてぼくたちは、絶えず過去へ過去へと運び去られながらも、流れにさからう舟のように、力のかぎり漕ぎ進んでゆく。
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